2019-04-23 第198回国会 参議院 法務委員会 第9号
経歴の中では、京都朝鮮学校襲撃事件を行った、徳島県教組を襲撃した、そういうことで実刑判決、それから奈良の水平社博物館に抗議街宣をやった、そして懲役一年六月、執行猶予四年の有罪判決、それから千二百万円の損害賠償を命じる判決が最高裁にて確定と、自分でそういうことを書いているんだけれども、こういうことがもう公選法に隠れて、いや、公選法を利用して行われているんですよね。
経歴の中では、京都朝鮮学校襲撃事件を行った、徳島県教組を襲撃した、そういうことで実刑判決、それから奈良の水平社博物館に抗議街宣をやった、そして懲役一年六月、執行猶予四年の有罪判決、それから千二百万円の損害賠償を命じる判決が最高裁にて確定と、自分でそういうことを書いているんだけれども、こういうことがもう公選法に隠れて、いや、公選法を利用して行われているんですよね。
翌年には、奈良の水平社博物館に行ってヘイトスピーチをやって、名誉毀損で裁判でも負けている。さらには、二〇一七年には、大阪の生野区のコリアNGOセンターでデモをやろうとしたから、仮処分で六百メートル以内ではデモをやっちゃいけないと言われても、それでもデモをやって、さらに大阪地裁は今度やったら一日六十万円支払いなさいという決定まで行っている、そういう人物ですよ。
だから、そこがバランスよくされるということが大事で、余り、何といいましょうか、その元々の水平社から始まるこの運動ですが、その一番のそこのところに余りにも固執してしまうとかえって解決を遅らせてしまうんじゃないかと思うんですが、この辺のことについては提案者の方々はどういう認識をされていますか。
今から百四十五年前、一八七一年に賤民廃止令が制定をされて、それまで同和地区と言われていた人たちが、それまで一種の労働税のような形で例えば牢屋の掃除をさせられるとか、あるいは道に倒れていた牛や馬の処理をさせられるとか、あるいは死刑執行がされるときにその実務を担わされると、そういうことは確かに廃止されたんだけれども、賤民廃止令から百四十五年、先ほどお話出ました水平社宣言からもう九十五年になる。
私の意見陳述の要旨、お手元にございますので見ていただきたいんですが、部落問題と同和問題、よく議論にはなりますが、実質は同じことですが、ちょっとミスがありますので訂正しますと、水平社宣言まではいわゆる特殊部落という言葉を使ってきて、それがその後、被圧迫部落あるいは被差別部落と言われ、あるいは、戦後は未解放部落、被差別部落という言い方もされましたけれど、戦争中の昭和十六年に、それまでの融和事業と言われていたのが
二〇二二年には全国水平社が創立して百年を迎え、あと五年四か月で百年を迎えようというこの時期に、この法律を成立されて、何のためらいもなくふるさとが語れる社会、私たちも不断の努力を重ねながら、この法律の精神が全国民に深化する社会の実現に向けて頑張る決意でありますので、どうぞよろしくお願いいたします。 ありがとうございました。
○有田芳生君 次に、人権擁護局長にお聞きをしますけれども、同じく部落問題の解消とは何かという質問なんですけれども、もう少し説明しますと、大正十一年、一九二二年に全国水平社ができましたけれども、もうそれ以来の部落解放運動というのは部落の土地と部落民というものを、その存在を明らかにした上で差別をなくす運動だったと理解をしておりますが、その理解でいいのかどうかということを含めて、部落差別をなくすということはどういうことなんでしょうか
あるいは、奈良の水平社博物館への攻撃が二〇一一年にありました。この間、四月二十五日に高松高裁で、徳島県教組襲撃事件については、これは拉致問題なんかも利用していたヘイトスピーチでしたけれども、高松高裁では、人種差別的行為というふうに控訴審判決で認定をされております。つまりは、在日コリアンだけではなくて、水平社博物館などなど様々な対象に対してヘイトスピーチが行われております。
例えば、二〇〇九年から一〇年に起きた京都朝鮮学校襲撃事件、これはもう最高裁でも判決が確定している件ですけれども、あるいは徳島県教組襲撃事件、そして奈良の水平社、誹謗中傷、侮辱の街宣活動をやった人物がおりますけれども、現在、執行猶予中です。彼が市会議員選挙に出るために大阪の法務局を訪れました。そのとき、法務局の担当者とこういう会話を交わしております。
この日は、京都朝鮮初級学校襲撃あるいは徳島県教組襲撃事件で逮捕をされて、さらには奈良県の水平社誹謗中傷事件で損害賠償判決を受けた川東大了という、そういう人物がやはり昨年九月二十九日には神戸のデモをやっておりました。 そのとき彼は、アンチレイシズムの旗、レイシズム、つまり差別はいけないんだよという旗をカウンターの人たちが作っていたんだけれども、なぜか彼はそれを持っていたんですよね。
○有田芳生君 例えば水平社は、その創立以来、身元調査の禁止というのはずっと一貫して主張してきて、部落解放運動でもそれはもう基本になっているわけですけれども、しかし今のような事件が起きている。 〇七年に戸籍法が改正され、八年に施行されましたけれども、本人通知制度、あるいは申請書の本人開示ということも議論になったと聞いておりますが、これはなぜ改正の中に入れられなかったのでしょうか。
○有田芳生君 もうここで繰り返しませんけれども、特に昨年以降、もっと振り返れば、今日も少し触れましたけれども、二〇〇九年京都朝鮮初級学校襲撃事件、徳島県教組襲撃事件、水平社差別街宣事件、あるいはもっと遡れば、一九九七年にブラジル人の少年が日本人の集団によって何の罪もないのに殺害されるという、ヘイトスピーチどころかヘイトクライム、差別事件というものが起きている。
だけど、繰り返し、大臣も含めてお考えいただきたいんですけれども、この数年間の日本というのは、例えば、京都の朝鮮初級学校での事件、あるいは奈良の水平社博物館での差別的な事件、あるいは徳島県県教組への襲撃事件、あるいはロート製薬に対する脅迫事件など、集団で暴力や脅迫的デモを行っていることによって既に有罪判決やあるいは民事の損害賠償を求める判決が出ているんですよね。
前川議員の地元である奈良でも、水平社博物館に彼らがマイクで差別用語をがなりつけて、これも裁判になっております。 あるいはカルデロン一家事件というのがありまして、不法滞在したカルデロンさん御夫妻が強制退去させられたんですが、娘さんだけが日本に残ることができた。
一九二二年、大正十一年三月三日、差別や人権侵害がいかに人間性を踏みにじり、尊厳を傷つけることかを指摘し、人間を尊敬することにより人権社会をつくり上げること、人の世に熱あれ、人間に光あれとうたった水平社宣言は、我が国初の人権宣言と言われています。鳩山総理の言ういのちを守る政治を実現するためにも、人間としての尊厳を大切にする人権政策の確立が極めて重要な課題であると考えます。
本来、戸籍というものは何なのかということを、そもそも論というのがあるわけですが、壬申戸籍からずっと始まりまして、私たち自身は、その前身であります水平社の時代から、壬申戸籍そのものが極めて差別的な戸籍のありようであったということで改正等をずっと求める運動をしてまいりました。
住井さんは、教育勅語と水平社宣言、「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」という、それを両方教える教育をしなきゃならないというふうに言っているわけですね。教育勅語だけでもだめだし、水平社宣言だけでもだめだと。
○前田分科員 この同和問題、いわれなき差別の問題、我が奈良県におきましても、例えば水平社運動等で先覚者であった西光万吉さんや米田富先生、この差別解消そして人権問題について取り組んでこられた主導的な方々がおられるわけでございます。
幸い、今回の神戸の大震災については、もちろん自衛隊の皆さんも、それから消防も、あるいはボランティアの皆さんも各地から青年男女が随分駆けつけて、かつての関東大震災、あのときに、例えば水平社の皆さんが殺されたり、あるいは韓国の皆さんが虐殺に遭ったんですけれども、ああいうことは今度は全然起きていない。
そういう状況の中で、一九二二年、これはここに書いてもらえないかもわからぬ、これは政府が書くんだから書いてもらえないかもわからぬが、ぜひひとつお互いがしっかり確認した方がいいと思うのは、全国水平社が一九二二年に創立された。そしてもう七十周年を超えておる今日の状況。水平社宣言の中で「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」、だれもが今お互いのものとして確認できる人権宣言が今でも生きている。
大正何年かなと思うときに私はどこを計算するかといったら、一九二二年、大正十一年水平社創立ということを歴史的に知っておるから、だからこれは大正は何年だとわかるのですね。しかし、例えば私のおやじが今生きておって、何歳で、あれが明治三十九年だからこうだなというふうにやはり換算しなければいかぬのですね。
水平社が結成されてちょうど七十年ということで、「人の世に熱あれ人間に光あれ」というテーマの朗読を交えながらの教育テレビでございました。 その中で、日本の先住民族でもございますアイヌの皆さんの、自分の出自といいましょうか、生い立ちを語ることのできない苦しさがその映像に出ておったわけでありますけれども、その中から、自分の出生を語るということを覚えて人間性を取り戻してきた。